○論文類、編著・共著(一部例外を除く)、文庫類の多くは割愛、夥しい数の著書のなかから、著者の画期となったと思われるもののみに限って、刊行年次順に示した。文中の敬称は略した。
昭和18〜39年 ・ 昭和41〜平成12年
(1)昭和18年(1943)
  『近代陶磁器業の成立』(伊藤書店)
 戦時色強まる昭和十六年、京都市史編纂事業の一環として、『歴史学研究』に初めて投稿した論文「海外市場の形成と京都陶器会社」が注目され、本書の出版が実現した。淡々とした実証的研究の背後に、資本論の影響がみられる。著者自身のことばによれば、「この小論を書くことで、未来を学問の世界に生きる自信のようなものを得た」とある。『奈良本辰也選集』(以下『選集』。昭和五十七年思文閣)の別巻に所収。

(2)昭和23年(1948)
  『近世封建社会史論』(高桐書院)
 終戦以来、著者が手掛けた近世封建社会に関する諸論文から五篇が選ばれた。特に第三論文の「幕末における郷士=中農層の積極的意義」、第五論文の「幕末における公武合体論の形成とその意義」は、前年に『歴史評論』、『歴史学研究』に発表され、その直後から大きな反響を呼んで服部之総と親交を結ぶきっかけとなった。卒業論文でもある第四論文の「近世における近代的思惟の発展」は『日本近世の思想と文化』(昭和五十三年岩波書店)に所収。

(3)昭和26年(1951)
  『吉田松陰』(岩波書店・新書)
 サンフランシスコ講和条約をめぐって全面講和か単独講和かで騒然とするなか、著者は全面講和論の立場にたって日本各地を精力的に講演して歩く。そうした緊迫した状況下で、古典的名著とされる本書が生まれた。あとがきに「時代と人間との対決を身を以て悩みつつあるわたくしは、松陰の時代に生きた生き方の失敗と真実の中に、了解できる多くのものを見出している。第一義の道とは何であるか。歴史を通じて、それを求めようとする私の気持が、松陰の真実にふれることを求めて止まなかったのだ」と述べているように、歴史家としての自らの生き方に吉田松陰の生涯を重ねて、明治維新の変革の思想をみごとに描き切った。その洞察力に富む人間描写は、従来の歴史叙述に衝撃を与え、発表後、たちまちベストセラーとなり、今日まで何度も版を重ねている。

(4)昭和29年(1954)
  『日本の思想家』(毎日新聞社)
   編著『未解放部落』(潮文社)
  『未解放部落の社会構造』(部落問題研究所)
  『未解放部落の歴史と社会』(日本評論社)
 昭和25年(1950)以来部落問題に関心を持った著者は、翌26年に部落問題研究所の所長に就任し、同僚の歴史家、北山茂夫や林屋辰三郎らとともに部落問題研究の充実をはかり、部落の本格的な通史をつぎつぎと発表した。昭和33年(1958)には『部落と歴史の解放運動』(部落問題研究所)を出版。43年(1968)、研究所は「朝日賞」を受賞した。

(5)昭和30年(1955)
  『日本歴史大辞典』全20巻(河出書房新社)
 戦後最初の日本史の本格的な辞典であり、多数の学者、研究者の協力を得て、昭和35年(1960)に完成、「毎日出版文化賞」を受賞した。

(6)昭和30年(1955)
  『京都の庭』(河出書房新社)
 かねてから『茶道月報』などに連載された庭園論をまとめたもの。竜安寺、苔寺、弧篷庵などの日本固有の美が、歴史家らしいユニークな視点で論じられ、名文として一部が教科書に掲載されたこともある。後に趣味人として活躍する著者の原点となる名著。『奈良本辰也・自選 歴史を往く』3巻(昭和52年、学習研究社、以下『自選』)に所収。

(7)昭和34年(1959)
  『二宮尊徳』(岩波書店・新書)
 勤倹節約をモットーとする古色蒼然たる二宮金次郎像に新しい光があてられ、真の農民指導者、土着の哲学者としての二宮尊徳が誕生した。体制的か反体制的かという点でのみ人物の価値判断が下されていた当時の歴史学の主流に抗し、著者が描出した尊徳像はあくまでも逞しい現実主義者、合理主義者であった。この尊徳像の発見は著者自身にも深い影響を及ぼし、以後の著者の歴史描写はきわめて骨太いものになって行く。

(8)昭和35年(1960)
  『瀬戸内海の魅力』(淡交社)
 著者の故郷でもある瀬戸内の歴史と風土と旅情が、美しくのびやかに語られて、著者の紀行活動の原点となる。同種の著書に『隠岐』(昭和42年淡交新社)、『瀬戸内の旅情』(昭和47年大和書房)、『平家絵巻』(昭和47年新人物往来社)などがある。

(9)昭和36年(1961)
   編著『図説日本庶民生活史』八巻(河出書房)
 「庶民生活史」を写真で表現するという斬新な企画であった。著者の統括のもと、若い研究者の膨大なエネルギーが傾注されて、翌37年に完成した。

(10)昭和38年(1963)
  『女人哀歓』(河出書房新社)
 小原流の月刊誌『小原流挿花』に十五回にわたって連載されたもの。写真は伊庭一洋。奈良・京都の古寺を巡りながら、その時代に生きた女人像を浮き彫りにした歴史紀行。『自選』一巻に所収。

(11)昭和39年(1964)
  『京都百景』(淡交新社)
 古都の風景と歴史が、著者の自在な文化史観のもとにくっきりと切り取られた名作。この頃からエッセイストとしても全開。このほか京都に関するエッセイとしては、『京都歴史散歩』(昭和34年河出書房)、『京を綴って』(昭和45年駸々堂出版)、『京都歴史歳時記』(昭和55年河出書房新社)、『桂と修学院』(昭和51年駸々堂出版・新書)などがある。

(12)昭和39年(1964)
  『高杉晋作』(中央公論社・新書)
 『吉田松陰』につづく思想的な営爲として、その弟子の高杉晋作が選ばれた。すでに五十代に達した著者は、晋作の比類ない楽天主義と、「狂」に向って爆発する瞬発力に深く共感し、若くして逝ったこの政治的天才をあますところなく造形した。とくに若者の読者を得て今も版を重ねている。

昭和18〜39年 ・ 昭和41〜平成12年

 
 
2002年3月22日 
学校法人 瓜生山学園
京都造形芸術大学
 
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